気ままな20代男の戯言

30代独身男性ののほほんとした日常をつづります。 自身が悩んでいることから悩みの情報共有、改善方法、効果が出たものについてつらつらと書きこんでいきます。

「転職」するというアクション

2019年3月31日をもって、大学院を卒業して丸3年働いた会社を辞めました。

終身雇用制度が崩壊したとはいえ、まだまだ一つの会社で長く働き続けることの方がよいといわれている時代。

 

副業が解禁するなど、多様な働き方や生き方が多数に存在する社会。

この二つの考え方の狭間の中で就職して社会人となった3年目の春。

 

いつしかこのまま今いる会社で働いてもよいのだろうかという不安がどんどんと膨れ上がるようになった。

「迷い」ながらも、転職するという「決断」に至った経緯。

 

そのいきさつをこれからお話ししよう。

 

無事入社したのは、繊維系の会社。”繊維系”という大きなカテゴリーにしたわけは、繊維業界は分業化が進んでいて、あまり詳しく書くともしかしたら会社の関係者の目に留まる恐れがあるからだ。

以下の様に、

糸を作る会社→

糸を紡いで繊維にする会社→

繊維を織り上げたり編み上げたりする会社→

生地(生機と呼ぶ)を彩りよく染める会社→

服などに仕立てる会社→

販売する会社

プラスして、商社があいだにいくつも介入している

まさに網の目のようだ。

 

話はずれてしまったが、

まず1年目。地方の町工場を大きくした感じの雰囲気が漂う工場に配属になった。

なんとなく緩い職場。高齢化の波が押し寄せてきており、20,30代の若手は数えるほどしかいなかった。新入社員が来るというだけで、ほかの会社以上にちやほやされて、可愛がってもらえた。だから、1年目にもかかわらず当時の上司に叱られた、指導されたという記憶がほとんどない。

1年目からこの状況は大丈夫か、自分の将来を考えると成長しないのではと思っていた

 

2年目。会社都合により転勤になる。工場の規模は大きくなり、全体的に活発的な職場になった。1年目に思った背景があることから、ここではうまくやれると思っていた。

 

…甘かった。

 

夜勤勤務があるシフト制の現場生産の仕事になったのだが、これが想像以上にきつかった。12時間2交代制。引継ぎや職場へ通勤する時間を含めると13時間勤務。そして、ほぼ体を動かす肉体労働。まら、1週間ごとに昼勤と夜勤が交代する。土曜出勤があり6連勤の日もあった。土曜の夜勤の場合だと、日曜の朝6時に仕事が終わる。そこから1日だけで昼勤の体に持っていかなければならない。そして月曜は4時起き、生産準備があるため5時半出勤。本来は5時半出勤はご法度なのだが、その時間に出勤しないと現場が回らなかった。

体がきついだけならまだやって行けたかもしれない。しかし上司がいわゆる体育会系の上司で、わからなかったりミスをしたら大きな声で罵倒される、嫌味や皮肉を言われる。耐えられなかった。食事は普段の倍以上食べていたが、体重が5キロ痩せた。

 

この時代は車を購入するためだけに働いていた。

また副業しないとお金を貯めれないことに気づいて、グレーな会社に騙されるという案件が発生。具体的には言葉巧みに誘導されて、相場より高くリノベーションの中古住宅を購入してしまった。身も心もボロボロやった。

将来の道を模索する前に、ただただ目の前のことで精いっぱいだった。

だから、変な「迷い」といらぬところで「決断」をしてしまい、マンションを契約してしまうという結果になってしまった。この二つの単語の意味をはき違えていた。

 

そして、これまた会社都合により、年が明ける前に品質管理職がメインの技術部へ異動となる。

体はしんどくなくなった。上司も会社の中で上位のランキングに当たる見習いたい人に当たる。ここで社会人とは仕事とはということをしっかりと叩き込まれた。失敗はしたけど、そのリカバリー方法も丁寧に教えてくれて、恵まれた時間だった。

 

しかし、、

 

業界全体、そしてその会社が待ったをかけた。

 

理由は4つ。

1つ目は、業界事情で今後先細りとなる斜陽産業であり、完全委託業で合ったため、もうけが経済に大きく左右される

2つ目は、使用していた薬剤の高騰、ガス電気料金の高騰、配送料金の値上げにより、純利益が少なくなった

3つ目は、ボーナスの少なさ。業界全体が衰退してるというのと、なぜかこの会社はさらにボーナスが少なかった。それを上げるために何回も労働組合が会社側と交渉して職場集会で報告してくれたのだが、最後のほうはただの茶番としか見なくなっていた

4つ目は、若手社員の大量離職。ただでさえ若手が少ないのに、毎月のようにやめていった。特に3年目は、自身が辞める前に30歳以下の若手が10人以上会社を去っていった。モチベーションが下がる一方

 

以上のことから、3年目の春から自分の心が揺らかんどうさぎまくっていた。このままでよいのかと。今のままでよいのかと。

 

そのころ、私が一番大好きなアーティストであるコブクロさんの20周年ライブが宮崎で開かれた。「迷い」なく行った。

音楽そのものを好きになるきっかけを作ってくれたコブクロさんのライブ。

もがきながら空を飛んで向かった晴々とした宮崎でのライブ。

もちろんのごとく、MCで笑わせてくれて、歌で感動し大号泣した。

その向こう側にある自分の感情や気持ちがはじけた瞬間でもあった。

今「決断」しないと大変なことになる。将来のためにも一度リセットしたほうがいいのではないかと。

 

ライブ終了後、さっそく行動へ移した。転職エージェントサービスを利用してなんとか仕事しながら転職活動を行い、しごtイミングよく内定をいただいて、最初の一文に戻るわけである。

 

そして、4月1日。本来は4年目となる最初の一日に、私は2つ目の会社に入社した。

慣れないことばかりで大変ではあるが、任されている、もう新入社員でありながら新入社員ではないということを肝に銘じながら、仕事をしている。

 

「迷い」はいくらでもある、誰にでもある。ただ、「決断」という行動へ持っていくためには、日々小さなことでもいいから「行動」をするしかないと感じた瞬間だった。

 

アクションのみ。